前回の記事では「保護者に障害を伝えることの難しさと方法」という内容で掲載しました。
今回はその続きです。
伝える内容・伝えられた内容
障害≠病気
障害があるお子さんが新しく入園する際に、保護者の方と話をしますが、1割2割の保護者の方で「もう少し大きくなれば治る」というような話をされる方がいます。
あたかも我が子の状態は、【病気=治療や訓練により完治する】と。
実際に脳疾患による両上下肢に障害があり、車椅子で園生活を送るYくんを担当した際に、
保護者の方と最初に話した時に「訓練を続ければ小学校までには立てるようになると、作業療法士の先生から言われました」と言われ、園内でも立位訓練を行ってほしいと希望されました。
園内でも出来る限りの訓練を行いました。しかし、卒園したYくんは小学校の通級学級に通っていますが未だに車椅子です。
障害の中には治療や訓練で改善できるものもあるかもしれませんが、それは完治ではなく克服です。障害≠病気だと思います。
奇跡を信じる想い
医療機関や専門機関で障害の診断が下される場合、保護者に残酷な衝撃(ショック)を次々に与えないように、世界に点在する奇跡的な事例を合わせて説明されることもあります。
- 同じ障害があっても努力次第で、普通の人と変わらない生活をしている人もいます
- 私が見た患者の中でも、今では元気に走り廻っている子もいますよ
- 今ではママになっている人もいますよ
- 今では大学で勉強していますよ
- 今では・・・
確かにそういう事例は、たくさんあります。
一番最初に保護者に対してショックを和らげるために、奇跡的な事例を紹介してしまうと「うちの子もいずれは同じように」という気持ちが強くなります。
でも奇跡的な事例には、本当に人には見えないところでの相当な努力が隠れています。ちゃんとそこまで説明してほしいのです。
障害があっても、とりあえず12歳くらいまで大きくなれば健常児と同じようになるだろう
小学校にあがる頃には自然と立てるようになるだろう。など
医者や専門家からの説明で、そのように取られる保護者の方は少なくありません。
でも、奇跡のような事例を伝えることが悪いことではありません。
私も子どもを持って気づいたことですが、親というのは無条件に「我が子は特別だ。奇跡を可能にする力を持っている」と思ってしまいます。
特に子どもが小さい頃は・・・
「昨日までハイハイしかできなかったのに、今日はつかまり立ちができた」
「先週までバブーとしか言わなかったのに、マンマと言えるようになった」
できないことができるようになる。子どもは本当に奇跡を現実にする力が宿っていると思います。
我が子の成長する力を、奇跡を現実化する力を信じていなければ、親として前には進めません。
そのためにも診断を受けた子の明るい未来を話すことも、もちろん大事です。
でも、その障害がある子はどんな成長する可能性があるのか、その障害はどんなものなのか、どういったことに努力すべきなのかなど、現実的な部分も保護者にきっちり伝えてもらいたいのです。
その大切な部分を曖昧に、安直に伝えられた保護者は『特に頑張らなくても、そのうち健常児と同じように』という捉えられ方をしてしまう可能性もあります。
それだけは本当に防がなければならないと強く思います。